歯車
(※ご依頼の方の体験を基にしたライターによる執筆です)
「時計は時を教えるものではなく、時を守る為のものなんですよ」
髪に白いものが混じった店員は、笑顔でそう語った。
その時計屋の決まり文句なのかもしれない。
観光地の店が並ぶなか、その小さな時計店はあった。
店のわきに、小さなアジサイが咲いており、朝までの雨を残していた。
店先には多少は見覚えのある時計や、みやげ物にちょうどいい可愛い品物が多く並んでいる。
もっとも、平日のせいか、客足はそれほど多くない。
観光客がまばらにみつめる中、時計の仕組みについての説明が店員から続いている。
佑介はそれを半分聞きにしながら、奥にある大きな四角い時計を眺めていた。何が出てくるものか、文字盤の中央に小さなドアがある。
興味本位でみつめていると、ちょうど、三時になった。
一斉に三時を告げる鐘やらチャイムが鳴り、時計店はつかの間の音楽を奏でたようだった。
文字盤のドアから出てきたのは、小さな女の子がネズミとお茶会をしている細工物だった。
娘の優奈がここにいれば、きっと喜んだろうと思う。
まだ2歳の彼女は、今、別居中の妻の元にいる。
妻の不倫を電話から疑い、悩んだ挙句に調べてもらった。そして、実際に発覚した。
相手の男と話すことが付き合いのほとんどとはいえ、自分は許せなかった。
冷静にならなければという思いはとび、ただ怒りにかられて追い出すような形になった。
佑介は妻の必死の謝罪も、やり直しを願う声も、まったく耳に入れなかった。子供にすら、優しい言葉をかけてやることもしなかった。
結局、仕事も手につかず、無理に休暇をとって旅行にきた。
一人で旅行するのは何年ぶりか、数えようとして思い出せない。
これからどうすべきのか、それもまだよく考えられなかった。
「歯車ってひとつ歯が欠けると、どんどん他も狂ってゆくんですよ。
だから、小さいひずみを見逃してはいけないんです」
店員は笑顔でそう言った。
その手にある仕掛け時計の歯車は、ひどく小さく見える。
ひずみはきっと、前々からあったのだろう。
妻の実家は遠く、ストレスがたまっているのも知っていた。
けれど、仕事で忙しくて早くは帰れない。家事も育児もなかなか手伝えない。たまの休みにも文句を言われるのが嫌でわざと会社に出たりしていたほどだ。
それでも、妻に浮気をされるなどと、佑介はまったく考えなかった。
「すみません、この時計、直せますか?」
店員に向かって、キャラクターの絵柄の青い時計が差し出された。
「子供さんのですか?」
「ええ、気に入っているようなので……買いなおそうと言ったら、これが好きなのにって、子供に怒られたところです」
時計を持って来た男は、頭をかきながら言った。
ああ、そうか――佑介は不意にわかった。
自分があんなに怒ってしまったこと、何も考えられなくなったこと。
そして、今も離婚を考えられないこと。
その理由は簡単だ。
今も自分は、妻と娘が好きなのだ。
あきらめられないから、こうしているのだ。
「こちら大丈夫です、お直しできますよ」
店員が微笑んで答えている。
持ち込んだ男も、ほっとしたらしい笑顔を浮かべている。
佑介もまた表情をゆるめ、帰り道に向けて歩き出した。
2007年07月23日
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