桜の花が咲いていた
(※ご依頼の方の体験を基にしたライターによる執筆です)

桜の花が咲いていた。
あれは高校の卒業式、クラスの違う男の子に告白され、電話番号を教えた。
専門学校と大学に進路は分かれたけれど、電話をしあい、手紙を書きあった。
何度目かの桜を見た時、ずっと一緒にいようと二人で決めた。
ありきたりかもしれないけれど、その約束は、私には一番大切なものだった。
そして、彼は夫になり、私は妻になった。
- - -
まだ桜がつぼみの時期、私は探偵会社にいた。
読み終えた報告書の横、コーヒーはもう湯気もたてていない。
きっかけはささいなことだった。
子供が生まれてから帰りが遅い、小言が多くなって、なんだか夫が遠くなった――そう姉に相談したら、「浮気じゃないの」と言われた。
気になって、身動きがとれなくなるような自分が嫌で、それでもどんどんそれらしい事実だけは積み重なって。何度も夫に問いつめそうになった。
でも、そうして、別れを切り出されるのが怖かった。
写真で夫と共にいる女性は、まだ若く、華やかだ。
何度も一緒の季節を越えてきたのに、私や子供よりも大事になってしまったのだろうか。
「すみません、なんだかまだ混乱してて……」
どれぐらい報告書を見ていたのか、担当者の心配そうな顔に、私はようやく表情を繕った。
どうしても、夫と一緒に見た桜が思い出せなかった。
- - -
「あなた、私と別れたい?」
「何を急に……」
夕食後の食卓、夫は手にしていたお茶をこぼしそうになっている。
ああ、そうだ。嘘の上手な人ではない。その目が困り果てて泳いでいるのはすぐわかる。
別の人がいるのは知ったから、あなたがその人とこれからを一緒に生きていきたい人なのか、そうじゃないのかが知りたい。あなたにもし他に本当に好きな人がいるなら、子供は私が育てる――
喋っている中身とは裏腹に静かな声が、自分のものではないみたいだ。
テレビドラマだったら、泣いて叫んで、物なんか投げて、それで別れたり他の人とハッピーエンドになったりできるのに。
「ごめん!ホントにごめん!」
土下座して謝っている夫に、一瞬気がつくのが遅れた。
遊びだった、向こうも夫がいて、魔がさした――いろいろな言葉が過ぎて、答えない私にあせったのか、夫は携帯で相手の女性に電話して、目の前で別れを告げた。
めまぐるしい中で、私は自分が泣いていたことに気がついた。
「ごめん、もう絶対浮気はしないから」
「馬鹿、大馬鹿……」
平謝りの夫の胸を、何度も叩いた。
- - -
桜の花が咲いていた。
引っ越してきたばかりの頃は、買出し途中のこの公園に二人で来た。
今日は私の背中で息子が眠っているから、三人で来ていることになる。来年になれば、きっと息子もここで遊べるようになるだろう。
「手、つながないか?」
夫は鼻を人差し指でかいて、手を差し出した。照れた時の癖は、卒業の時と変わらない。人目があるのにこうすること自体、夫には精一杯だろう。
春風に、薄い桃色の花びらが風に舞った。
もう一度、約束。
ずっと一緒に、桜をみよう。
2007年06月19日
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